往復書簡

複製不可能な夜

菊地 将弘

澤井くんに聞かれた「忘れられない景色」を思い出してみた。もう10年以上前になる。

コロッケさんの誕生日パーティーに呼んでいただいた時の話。マネージャーをしていた同世代の知人と、仲良くさせてもらっていた縁だった。

場所は銀座、司会は葉月パルさん。声優・神谷明さんを思わせるハイトーンの声がマイクに乗った瞬間、空気が一気にショーパブのそれになる。

見渡すと番組関係者の卓があって、その隣に芸能人の卓が、当たり前みたいにある。

驚いたのはショーだ。 当時『とんねるずのみなさんのおかげでした』で流行っていた「2億4千万のものまねメドレー」が始まって、場がどっと沸いた。

そこへテレビでもお馴染みのものまねタレントが次々と駆けつける。 一曲を披露して、ご挨拶をして、人によってはそのまま仕事に飛び出していく。

大きなケーキの前にコロッケさんが立っていて、その周りに代わる代わる人が集まっていく。 音楽とパフォーマンスと笑い。密室の空間ならではの妙な連帯感が、会場に生まれていた。

その華やかさを浴びながら、こんなことを考えていた。 これ、そのままショーにして売ったら成立しないんじゃないか。 チケットにするなら、かなりの金額をつけないと利益が出ない。

もちろん芸能人のディナーショーだってあるし、高単価のショーが成立するのもわかる。 ただ、こういう誕生日パーティーが仕事になった瞬間に、いろんなものを数値化しなければいけなくなる。わかりやすいのがギャランティだ。

例外がつくれない。 一度その条件でやれば、それが根拠になって前例になる。 前例をつくらないために、一定のギャラを取らざるを得なくなる。これはタレントさんに限らず、専門性のある仕事をしている人にも起きていることだと思う。

でもあの夜は違った。 誕生日なのか、御礼なのか、名目が何だったのか。そこにお金が発生していたのかも、僕にはわからない。

ただプライベート性が高かったことだけは確かだ。 関係者しかいない空間で、金銭を介さない「贈与」のようなものが行き来していた。少なくとも、僕にはそう見えた。

ここに芸能の本質が詰まっている。 もともと神事から生まれたものだ。芸能とは究極の内輪ネタであり、祝祭であり、まかない飯のようなものから始まっているのではないか?

会場を出た。興奮が冷めない。 夜なのに目が冴えきって、アドレナリンが出ているのが自分でもわかった。

頭の中ではまだ、ケーキの前のコロッケさんと、代わる代わる集まってくる人たちが回っていた。

銀座の石畳を歩きながら、一緒に行った友人と「僕らだったら、どんなふうにできるだろう」と話した。心地いい風が吹いていた。

こうすればできるんだと、上の世代に教わった気がした。 あの一晩が、そのまま僕の「銀座」のイメージのひとつをかたちづくった。

そのあとすぐ、マネージャーの彼に電話して、会場はどこですかと聞いた。

結局は別の会場になった。 下見をして、会場費は先払いで数十万円。ペンでサインするとき、指が震えたのを覚えている。

クローズにしたいのに、たくさん来てほしい。 その二つが同時にあって、自分でもおかしな感情だった。

2015年の8月1日。澤井くんにも入ってもらって、一緒につくったね。

20代を中心に、テレビや芸能に関わっている人だけで200人以上が集まった。パフォーマンスができる人はやる。利益を目的にしない、贈与だけの関わりで、2部構成の夜通しイベント。

同世代のみんなに助けられて、なんとかカタチになった。


つい先日の話。

雑誌『新百姓』の編集長・おぼけんさんと話す約束をしていた。 ちょうど三鷹の独立系書店UNITÉでトークイベントをされるというので、駆けつけた。

引用:ユニテのX postより

新百姓は、やっていることがとにかく非効率だ。 AIの時代だからこそ、あえて効率を避けている。

わかりやすいところでいうと、雑誌ができあがったあと、1冊ずつナンバリングを打刻している。 全部に番号を刻む雑誌なんて、他にあるだろうか。

その流れで、おぼけんさんから「複製不可能性」という言葉が出てきた。

非効率であること。つくること。複製不可能であること。 その瞬間、銀座の夜と目の前の話が一本につながった感覚があった。

そもそもイベントというのは、一回性をはらんでいる。同じライブでも、開催日が一日違うだけで中身は変わってしまう。

僕にとっての忘れられない景色、あの誕生日パーティーの夜は、まさに複製不可能だった。ショービジネスとしての再現性がまずない。誕生日は毎年やってくるけれど。

でも、あの夜が二度とないことは、参加者みんながわかっていた。いいイベントには、そういう性質があると思う。

2015年に僕らがやったのは、あの夜の複製ではない。 文脈だけを受け取って、自分たちのやり方に置き換えた。それだけだ。

モノマネも、同じだ。 あれはコピーではなく、その人が文脈をどう読んだかを、自分のフィルターを通して差し出すものだ。だからオリジナルだと思う。

複製不可能なものをつくるプロセスを、どれだけ面白がれるか。それを差し出す側でいられるか。

いま澤井くんとやっている銀座ポピュラスだって、個人がふたり、やりたいというだけで始めたものだ。 効率とは、まったく別のところにある。

澤井くんにとって、いいイベントってどんなものだろう。