銀座ポピュラス主宰、ふたりによる往復書簡。言ってみれば公開版の交換日記です。
日々のちょっとした気づきや、ふと浮かんだ問いを相手に宛てて書いていく。
かしこまらない手紙のやり取りを、そのまま場に出して積み重ねていきます。
国道沿いの赤暖簾
澤井 直人
桂川を渡ってきた風に乗って、 新緑の甘い匂いが国道沿いに溢れていた。
店に入るなり、瓶ビールを一本注文した。 喉を鳴らして飲むと、あっという間に瓶が空になった。
次女が産まれた。 その多幸感に包まれ、病院を出たあとに飛び込んだのは、 赤暖簾のかかったラーメン屋だった。


上桂 中華そば東東(とんとん) チャーシュー麺
はじめて、出産に立ち会うことができた。 分娩室に我が子の産声が響いた瞬間、自然と涙が溢れてきた。 妻の顔を見ると、私と同じように涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。

長女が産まれた2021年はコロナが理由で出産に立ち会うことも許されず、アクリル板越しの対面だった。
面会時間も指定され、 たった数分だけ娘の顔を覗くだけ。 親子を隔てる、たった一枚のアクリル板がとても厚く感じられた。
次女のときは、何としてでも生まれてすぐの我が子を分娩室で抱きたくて、 仕事先にわがままを言って、京都に長期滞在させてもらった。
念願叶って、妻の横に付き添うことができた。 うまれたての我が子を抱きかかえたとき、 その体温と、みずみずしい肌に「いのち」を感じた。
まだ手元に残っている温もりを、場所ごと記憶に残したくて、 飛び込んだラーメン屋だったのかもしれない。
菊地くんに、いまのうちに書いておきたい店はあるかと聞かれた。 まっさきに浮かんだのが、この一杯だった。
私は日常のなかで「あの頃の記憶」を思い出すためだけに 「店まで食べに行く」ことがある。
少年時代、年に数回だけ家族全員で外食に行った琵琶湖沿いの王将。上京してはじめてお笑いライブを作家として手伝った帰り道に 歌舞伎町で食べた「いわもとQのお蕎麦」。妻と婚姻届を出しに行った帰り道、駒沢大学駅前で食べた天下一品の炒飯セット。
あの時間にタイムリープするために、自然と店に足が向かう。
今年の盆、帰省して父とお酒を飲んでいると、祖父の話になった。
祖父は私が小学校一年生のときに鬼籍に入った。 顔はもちろん覚えているが、祖父との思い出といえばコレというものがない。 生家には、資料が積まれた事務所があった。 祖父が一級建築士をしていたことは、母から聞いていた。
まだその時分は「死」というものに対し、悲しいという感情はなかったように思う。
お葬式で鯨幕が張られ、様変わりした和室を見て 「清々(すがすが)しい」と表現すると、 親戚たちは「小さいのにようそんな言葉知ってはんな~」と笑っていた。 頭の片隅に、その情景がかすかに残っているくらいである。
そんな祖父が胃がんの闘病中、食が喉を通らなくなり、やせ細った最期に 「ふたばの豆餅が食べたい」と家族にお願いしたという。


京都 出町ふたば 名代豆餅
そのとき、祖父はなぜ、ふたばの豆餅を食べたかったのか。 豆餅と祖父の間にどんな物語があったのか。そんなことを妄想する。
この歳になってはじめて、 自分の知らない家の話を親から聞くことがある。
「なぜ、今まで知らなかったんだ。」
思いがけない話が眠っている。
親には、話ができるうちに気になることを聞いておいたほうがいい。 ただ、照れくさくてなかなかできないのも世の常だろう。
「味と記憶」でいうと、思い出される映画がある。 伊丹十三監督作品『タンポポ』(1985年)だ。

所有しているレーザーディスク
この映画の中で鮮明に残っているシーンがある。
死期が迫った妻が、最後の力を振り絞って家族にチャーハンを作るシーンだ。
夫が妻に「眠ったら死ぬぞ、なんかしろ、歌を歌え。そうだ、かあちゃん、飯を作れ」。 妻は意識朦朧の中よろよろと起き上がり、 台所に立って葱を掴み、チャーハンを炒めだす。
「まだ温かいうちに、喰え」の夫の言葉に、家族全員で母ちゃんのチャーハンを噛みしめ、 味わう。母ちゃんの顔を目に焼き付ける。 夫が「うまいよ、母ちゃん」と言ったのを見て、妻は意識をなくす。
さらに、開高健の『風に訊け ザ・ラスト』(集英社文庫)。
表紙に Life Style Advice とあるとおり、読者の悩みに答えていく一冊だ。

所有している文庫
「最後の晩餐には何を食べたいと思いますか?」という問いに「開高兄」はこう答えている。
古今東西、無数の作家と詩人が言葉および文字によって、 あらゆる料理の表現をしてきたけれども、いまだかつて、 誰ひとり描写していないものの味がひとつある。いや、ふたつある。 ひとつは、生まれた直後に、ガーゼにしませて飲ませてもらった最初の水の一滴の味。 もうひとつは、死にぎわに唇にしませてもらう水の味。
匂い同様、味も記憶と色濃く結びついている。
次女が大きくなったときに、 あの赤暖簾のラーメン屋がまだやっていたら…
「あの頃(今年)の記憶」を思い出すためだけに、 「一緒に食べに行く」だろう。(気が早いナ)
菊地くんは、家族との時間で記憶に残っている情景ってある?
