恣意性を手放し、奉仕に生きる
新建築『住宅特集』の表紙を飾った「宮町の家」にて


Vol.1 でお話をうかがったのは、建築家の堀池瞬さん。かねてより交友関係にあった家主の依頼で、埼玉県熊谷市に建てたのが住宅「宮町の家」。2026年、住宅建築専門誌『住宅特集』の表紙を飾りました。
ただ、ご本人は「建築によって私自身が表現されるとは思っていない」と言います。自分の色を出さない設計者が、なぜ表紙になったのか。
取材は、その宮町の家のリビングで。窓の外には、堀池さんが「この敷地の魅力そのもの」と語る、豊かな緑が広がっていました。
堀池 瞬 プロフィール
1984年生まれ。2007年慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科卒業、2009年同大学大学院理工学研究科修了。久米設計、石川素樹建築設計事務所にて従事。2017年に堀池瞬建築事務所を設立。
2023年から国立大学法人 筑波技術大学 産業技術学部 講師。主な作品に「宮町の家」「おちあいろう 別邸 石楠花」「東洋計器富山工場」「THIS BREWING」「エフエム大阪本社」「大法院納骨堂」など。
住宅設計は、合わせ鏡である
住宅は、オフィスよりも人間が出てしまう
澤井:今日は、この宮町の家を通して、堀池さんが設計で何を大事にされているかについてお聞きします。さっそくですが、そもそも住宅の設計ってオフィスや商業施設の設計と、何が違うのでしょうか?
堀池:特に住宅は、身近で大きな買い物なので、その人がより見えてくる世界なんですね。オフィスや商業施設って、その会社の担当者の人が、会社の予算を使ってプロジェクトに関わっているので。それももちろん皆さん真面目に、真剣なんですけど、住宅の場合は、自分自身の生活に直結するものとして、自分や家族がこれから暮らす場所をつくる。その意味で、意思決定がより直接的にその人自身に返ってくるんですよね。
本当に自分事として自分の家を建てるわけですから、その人の素の部分といいますか欲求や品性が見えてきます。
澤井:人の色が、そのまま出てしまう。
堀池:はい。一般的には設計者や建築家が設計をすると「その建築家の色に支配されているんじゃないか」というイメージを持たれる方が多いのかなと想像しています。
実際、それは正しい理解で、設計者自身の意思や作品性が建築に現れることはあるし、それ自体が建築の魅力になることもあると思います。
それこそが設計事務所の建築なんだと。その側面はありますし、実際にそういう認識をしている設計者は多いと思います。
澤井:堀池さんは、そのお一人ではないと。
堀池:正直、建築によって私自身が表現されるとはあまり思っていません。私という人間が現れているというのは、建て主という人間が、その建築に現れているということなんです。
建て主にヒアリングをして、伝えられたことを素直に受け止めて設計する。「宮町の家」で言えば、この敷地に関するさまざまな要件を受け止めて、私たちなりに分析し整理をしました。
もちろん設計は図面を書いて、線を引く。その線を引いているのは自分なので「この位置に線を引く」という意思を持っている以上、それは自分の表れなんじゃないかと言われれば、その通りではあります。
ただ心がまえとしては、恣意性を排除していく。
澤井:恣意性、ですか。
堀池:はい。作為といいますか恣意性を持たず、自然環境や条件から受け取ったものを、素直に積み上げていく。「宮町の家」はまさにそうです。
その積み重ねでできあがるものが一つの作品として魅力を持たないのかというと、私の考えですが、そうではない。信じております。
澤井:今のお話、共感できることがいっぱいあります。放送作家で、自分の企画力や作品性を世の中に出したいエゴがある人ってたくさんいて。自分の作品性を出したくなるんです。
僕も20代のときは、そうだったんです。もちろん、それは放送作家はみんなあると思うんですけど。

堀池:共通点がありますね。
澤井:僕自身は「タレントさんのやりたいことを実現する」であったり「視聴者の求めているものを出す」であったり、そういう思いで企画をするように変わってきました。
人と向き合うようになってから、この人をより輝かせるためにはどうしたらいいかを考える。大切なのはその人の思いじゃないですか。
それを企画に落とし込むのが、実はプロの仕事なんじゃないかなって。その方が素敵なんじゃないかなって。自分の表現力うんぬんではなく、そこに軸があった上で表現のためだけにやらないというか。
堀池:その感覚、とてもわかります。
「設計とは、奉仕である」
澤井:その恣意性を手放すという姿勢は、どこかで教わったものなんでしょうか?
堀池:人からの影響が大きい気がしますね。私の師匠の師にあたる建築家・手嶋保さんと食事をご一緒させてもらう、お話を交えさせていただく機会が時々あるのですが。手嶋さんがおっしゃっていたのが「設計とは、奉仕である」と。
その人のために、いかに奉仕できるか、自分の身を捧げられるか。実直に手間ひまを惜しまない、そういうことなんです。
それこそが設計だとおっしゃっていて、私はその言葉から多くを学ばせていただきました。その人のために何かできることがないか。そういう姿勢が、設計という行為にも通じているんだと思いますね。
澤井:その考え方が、はっきりと形になった経験ってありますか?
堀池:私の心に一番残っているのが、独立して間もない頃にご依頼をいただいた、Tさんという方の住宅です。久米設計という設計事務所にいた時の同僚のご縁で「お父さんが家を建て替えたいから、相談に乗ってもらえませんか?」という話でした。
兵庫県の伊丹市で家を建てたいと。奥様とお二人でお住まいの家で、当時60歳を越えている年齢。旦那さんは大学で教授をされていました。お話をしていると、物事の考え方に芯が通っている方でした。
たくさんの知識もお持ちでしょうし、多方面に精通されていらっしゃるとお見受けしました。私は独立して間もない時だったので、いろいろと具体的な要望をいただきながら設計を進めていくんだろうと、勝手に想像をしていたんです。
ですが実際に設計を始めていくと、私の力量を見極めるようなことはまったく無く。初めてお会いしたその時「お願いします」と一任してくださった。
澤井:関係性があったとはいえ、それだけの信頼は、なかなか無いですよね。
堀池:ええ。設計が始まった後も、基本的には「お任せします」のスタンスで、私に全てを託してくれたんです。
その信頼に何とか応えたい、その方のためにできることは何でもしようという気持ちで、設計に力を尽くしました。
そうして住宅が完成し、その時の自分なりに、精いっぱい向き合った建築だったと思っています。大きな経験になりました。
振り返ってみるとTさんは、本当はいろいろなことを言いたかったと思うんですけれど、その欲求を抑えて託してくれた。その人間そのものが、合わせ鏡のように建築にも表れる。これを一番感じた経験だったので、印象深く残っています。
澤井:住宅は人間そのものの合わせ鏡。いい言葉ですね。
人に手を差し伸べてしまう
人が好きだと言うのは、恥ずかしいけれど
澤井:堀池さんって、人の縁を大事にされる方だなとこの数カ月ずっと感じてるんです。初めてお会いした表参道の夜、僕が作家の伊集院静さんに救っていただいた話をしたら、真剣に話を聞いてくれました。
さらに2週間後には、伊集院さんの行きつけだった神楽坂のバーに連れていってくださり、親交のあったマスターまでご紹介いただき。マスターから、当時の伊集院さんのお話や料理も振る舞ってもらって忘れられない夜になりました。
この方は人の縁を大事にされている方だなと思いました。堀池さんは、人がお好きな方ですか?

堀池:人が好きって言うのは、ちょっと恥ずかしいですけどその言葉から思い返されるのは生まれ育った環境ですね。父の話をしてしまうとボリュームが増えてしまうんですけど。
澤井:いえいえ。ぜひ聞かせてください。
堀池:私の父は、もう15年以上前に他界しているんですが、化学薬品の専門商社で役員をしていたんです。
父は時々、家族に仕事の話をすると「障がい者の方や、いろんな事情を抱えている方が、分け隔てなく働けるような職場環境をつくれたらいいな」と話をしていて。
そういう自分の子どもの時の記憶というか、耳に残っていて。いつか私の設計事務所でも障がい者の方の職場環境をつくり、父に近づけたらいいなと思っていました。
澤井:お父様の影響が大きいんですね。
堀池:母もそうですね。世話焼きか人懐っこいのかわからないですが、親族や知人、友人はもちろん私たち子どもたちに対しても愛を持って接していました。何をしても見返りを求めないんです。
本当にもう無償というか、何か困ってる人がいたら手を差し伸べていました。当たり前のように。
それをしたことで、相手が喜んでくれる。そういう姿を見て、自然と私自身も月並みですけど、目の前に人がいたら自分にできることはごくわずかでも何かしたいと思うんです。
北海道に出張した際、雪が積もった道で白杖を持った視覚障がい者の男性が交差点でうろうろしていて。周りには多くの人が行き交っていたんですが、その方が少し困っているように見えたので、「大丈夫ですか、どっちに行きたいですか」と声をかけたんです。
澤井:堀池さんは見て見ぬ振りができない。
堀池:先日も、横浜駅のJRの構内で手嶋さんと立ち話をしていたんです。そうしたら、50〜60代くらいの女性の方が声をかけてきて、「東横線に乗りたいんですけど、どっちに行けばいいですか?」と。
そういうふうに道を尋ねられることが、本当に多いんですね。
澤井:そうですか。実は僕も、普通の人の何倍も道を聞かれますね。あはは。
堀池:そういうデータはわからないですけど、本当に多いんです。外国の方にも何か聞かれますし。人が好きというか、こうしてあげられたらなあというのが雰囲気に出ているんですかね。
澤井:お父様、お母様、両方から受け継がれているんですね。
堀池:そう言われてみると、その影響が大きい気がしますね。
全幅の信頼、その先にある克己心
「依頼は、最初から心の中で決めていた」
澤井:ここまで堀池さんに伺ってきましたが、ここからは実際にこの家に暮らしているモロさんにも加わっていただければと思います。
モロさんは、堀池さんとはデザインスクール時代の同期だったんですよね。今回、家を建てるにあたって、どうして堀池さんに依頼しようと思われたんですか?

モロ:実は、もう大前提として、堀池さんに全幅の信頼を寄せているんです。これは本当にお世辞じゃなくて。私は妻と結婚する前から、条件のように言っていたんですけど「自分の住宅を建てたい」が人生の決定事項だったんです。
持ち家か賃貸かとか、そういう話は関係なく「住宅を建てたい」気持ちがまずあって。かつ、依頼する人まで決まっていると妻に話していました。
もちろんそれは、出会ってからの色々な積み重ねの上での話なんですけど、彼に依頼することは、ずっと決めていたんです。
澤井:それはすごい信頼ですね。ちょっと羨ましくなっちゃいます。そこまで思えたのは、どうしてだったんですか?
モロ:そうですね。どっちかというと、建築士としての人物像よりも、友人としての部分が大きいんです。同じところで学んでいた中や、プライベートで話している中で培われたというか。うまく言葉にできないんですけど。
澤井:モロさんにとって堀池さんはどんな人物像ですか。
モロ:友人の中でも群を抜いてストイックで、自分の軸がしっかりしている人ですね。それは設計にもそのまま表れていて、デザインスクール時代に取り組んだ設計の課題の中にも、その片鱗が出ていたなと思います。
例えばこの家の設計でも、私の要望に対して「本当はこうできないか」と思う部分があっても、最終的には専門家の目から、私たちの将来の暮らしまで見通した上で「これはこの方がいい」と、はっきり示してくれるんです。


友人だからといって、変な妥協はしない。本当にプロフェッショナルな目線で「ここはこうあるべきだ」という軸が、はっきりしていて。
私も40歳になって、これまで人と出会ってきましたけど、芯の強さでいうと群を抜いていますね。
澤井:「ぶれなさ」は、堀池さんとお会いしてまだ数カ月の僕でも、ひしひしと感じます。
モロ:出会った当時から、ひょうひょうとしているんですけど、内に秘めたものがあって。デザインスクールの同期の中で、実際にこの道に進んだ人間は、本当に数人なんです。
趣味の延長でやってみたいという人もいれば、キャリアチェンジを考えている人もいて、熱量もさまざまでした。
そんな中で、こうして今、結果を出している。卵だった頃からの付き合いなので、それだけで感慨深いものがあります。
澤井:その頃から知っている人に、家を託されたわけですね。
丸裸にされている気分です
澤井:いまモロさんお話を伺って改めて堀池さんにお聞きします。そのストイックさは、どこから来ているんでしょうか。
堀池:丸裸にされている気分ですね。ひと言で言うと、自分の中にある「克己心」なのかもしれないです。今、その質問を受けるまで、克己心というワードは自分の頭になかったんですけど、聞かれた瞬間にポンと思い浮かびました。

私は中学受験をして、今の母校の慶應義塾大学につながる中学校に入ったんです。算数や理系の科目が得意で、それなりに自信もあったんですが、入ってみると、私なんかよりよっぽど優秀な人たちがたくさんいて。井の中の蛙だっただけだと気づかされました。
そのあとはずっと部活でスポーツに打ち込んでいたので、勉学はそこそこで、将来なりたいものが明確にあったわけでもなくて。
ただ、父が新しいものを取り入れるのが好きな人で、中学生のときに家にWindows 98が来てから、少しずつパソコンを触るようになったんです。ぼんやりとですけど、ソフトウェアをつくる仕事やプログラマーに関心はありました。
澤井:では、そのまま情報系に進まれたわけではないんですか?
堀池:たまたま仲の良かった友人に、建築に興味がある人間が多くて。その友人たちに取り込まれる形で建築の世界に入ったので、そこまで強い意志があったわけではないんです。
大学4年で研究室に配属されるとき、志望していた意匠系に落ちました。第一志望どころか、第二志望以降も全部です。
澤井:第二志望以降も、ですか。
堀池:ええ。配属されたのは、建築とは無縁の機械工学系の研究室でした。大学院からは建築に戻って、環境設備系の研究室に進むことになって。
ずっと誰かの背中を追い続けているような感覚があって、上を見てもキリがない。
ほとんどの人は、単位が取れて就職すれば、そこで学問の世界とは区切りをつけるんですけど、私の中では憧れのような気持ちと、学び続けたいという感覚がずっと残っていて。設計者としての軸は変わらないまま、一方で研究者としても、自分の身を投じながら、どこかその先にあるものを追いかけ続けていました。
澤井:そこまで思い通りにいかない経験が続いたら「もうこりごり」ってなりそうですけど、そうはならなかったんですね。
堀池さんは地中熱利用システムをテーマとした論文執筆など研究者としての活動もされていますし。
堀池:昔から根っこは、一つのことにのめり込むタイプなんだと思います。
いまの捉え方としては、設計に対して根拠や論拠を持とうとする点に、研究者としての側面が反映されているのかなと思います。
大師匠からはじめてもらった言葉
手紙を書いて、門を叩く
堀池:大学院を出て最初に入った久米設計で、意匠デザインではなく環境設備の設計をしていました。ただ、働きながら意匠のデザインスクールにも通っていて。モロさんとは同期なんです。
澤井:働きながら、ですか。
堀池:はい、ダブルワークに近い形でした。エンジニアから意匠デザインへ越境する人は少ないんですが、それも自分を表現したいというより、デザインとエンジニアリング、両方をわかっていた方がプロジェクト全体としての最適解に近づけると思ったからで。
その後2014年の7月に、最初にいた久米設計を、何もその先を決めずに退職しました。
澤井:嫌になって辞めたというわけでもなく?
堀池:まったく逆ですね。風通しのいい社風で、本当にいい方たちに囲まれて設計をしてこられました。
ただ、環境設備という個別の領域だけでなく、意匠も構造も環境設備も美しく融合して建築全体が構成される、そういう設計のあり方を考えていきたいと、働きながら自分の関心が移り変わっていったんです。
お世話になった方々への恩義として、次を決めてから辞めるようなことはしたくなかった。まず退路を断つところから始めました。水面下で転職活動をしていたわけではなくて、本当に次を決めずに辞めたんです。それが私なりのけじめのつけ方でした。
よく知った人間関係の中から、エンジニアリングから意匠のデザインへ本格的に進むにあたって、少し時間をかけたかった、というのもあります。
そこからいくつかの設計事務所でオープンデスクやアルバイトの下積みを経て、2015年の1月に、建築家・石川素樹さんのところへ入りました。
澤井:石川さんとは、もともと接点が?
堀池:いえ、まったく。もともと弟子入りを志していたのは手嶋保さんだったんです。何の接点もなかったので、直筆の手紙を書いて郵便で送りました。届いたころを見計らってお電話したら、直接会ってくださることになって。
澤井:おお。手紙、ですか。
堀池:事務所でお話を交えさせていただいて、手嶋さんが設計した鎌倉の「笹目町の家」も拝見させてもらいました。ただ、結果としては所員になるのは難しいというお話で。
そのときに手嶋さんが、ご自身の事務所から独立した石川さんを訪ねてみたらどうか、と話してくださったんです。それで、石川さんのもとを訪ねるに至りました。
澤井:石川さんのもとで過ごされてみてどうでしたか。濃厚な期間でしたか。
堀池:ええ。所長の石川さんと1対1の環境で。事務所で初めての所員として入って、後から二人目、三人目と所員が増えていきました。アトリエの設計事務所だと、所長の下に右腕の番頭さんがいて。
その下に所員がつくという構成も多いんですけど、石川さんの事務所は最初、私と石川さんの二人きりだったので、所長から直接指導を受けられる貴重な環境でした。
寝る間を惜しんで設計に没頭しすぎてしまい、事務所で倒れて救急車で運ばれたこともありました。一度だけですが。
澤井:さらっとおっしゃいますね。
堀池:すっかり休むことを忘れてしまっていたような状態でした。
大師匠からの「表紙、おめでとう」
澤井:そこから独立されて、今の堀池さんに至るわけですね。「宮町の家」が『住宅特集』の表紙になると知ったのは、いつだったんですか?
堀池:発売日の前日です。
澤井:えっ、前日ですか。
堀池:掲載が決まったのは今年の4月ぐらいで、編集部から連絡をもらって。表紙になるかどうかは、少なくとも私は何も聞いていませんでした。
端っこに載るぐらいかなと思っていたので、そんなに気にしていなくて。発売日の前日、手嶋さんからメッセージが届いたんです。ひと言「表紙おめでとう」と。
それを見て、そこで初めて、自分の作品が表紙になったことを知りました。
澤井:ご本人より先に、手嶋さんが。
堀池:手嶋さんの作品も同じ号に掲載されていて、その日、手嶋さんの事務所にも編集部から一冊届いていたそうなんです。それを見て、私の作品が表紙になっていることに気づいて、連絡をくださった。
ちょうどその日に手嶋さんとお会いすることになっていて。お会いした際に、手嶋さんがその一冊を見せてくださって、そこで初めて実物の表紙を見ました。
澤井:それだけでもう、胸がいっぱいになりますね。師匠の師匠が喜んでくださるのは、嬉しい話ですね。

凡庸を重ねて、非凡に至る
澤井:堀池さんは、実務家として設計をしながら、研究者としても論文を書き続けていらっしゃいますよね。これからも両立を続けるのですか?
堀池:そこに好きの種があるんだと思います。人間として、自分の中にこうありたいという姿があって、そこに少しでも近づけたらいいなという気持ちが強くて。
実際、設計という実務をしながら、大学の教員として論文を書き続けている人は少ないんです。私は両方を今もやっていますが、これからも継続していきたいです。
澤井:では今後の建築について、堀池さんがどうやっていこうとか、未来に向けてのお話も、最後に聞かせていただいてもいいですか?
堀池:今の時点で言うと、今、私の中にあるのは、「コンセプト」への向き合い方の変化です。
学生時代の設計課題をやっていても、みんな素人なので、最初は「つくりたいようにつくる」ことが多いんです。私も含めて、そうでした。
でも、設計には必ず最初にコンセプトを設けて、そこから各論に入っていく。そういうプロセスを教わって。
卒業して最初に身を置いた久米設計でも、コンセプトを立ててから各論に入っていくという同じプロセスを踏んでいたので、そこで学んだことを自分なりに当てはめてやっていました。
堀池:一方で、それは20代の話で、今はもう一回り、15年近く経っています。今の私からすると「コンセプトが必要な場面、それがより効果的な場面もあれば、必ずしもそうではない場面もある」と感じるようになりました。
どちらがいい悪いということではなく、プロジェクトの性質によるところが大きいんです。時間軸によって、考え方は変わってくるところがあると思っていて。今、私の中で、自分の言葉で「凡庸を重ねて非凡に至る」という言い方をしています。
澤井:凡庸を重ねて、非凡に至る。えっと「凡庸」とは、平凡という意味ですか。
堀池:そうです。平凡なもの、いまでは当たり前になっているもの。ただ、その当たり前は、はじめから当たり前だったわけではないんですよね。
いま何気なく使っている技術も、方法も、考え方も、かつて誰かが考えて、試して、つくり上げて、次の世代に手渡してくれたから、私たちにとっての当たり前になっている。
澤井:新しいものをつくる、とは言わないんですね。
堀池:「新しい」という言葉を、私は簡単には使いたくないんです。自分では新しいと思っていることも、知らないだけで、すでに誰かが考えて試しているかもしれません。
澤井:自分が一番乗りだとは思わない。
堀池:凡庸というのは、価値のないものではなくて、かつての誰かの非凡な仕事が、長い時間をかけて当たり前になったものだと思っています。だからその言葉を選んでいるんです。先人が築いて、受け継いでくれたものへの敬意として。
例えばこの家についても、すべての寸法を決めるには一つ一つ、何千、何万という意思決定です。ですが、その決定の一つ一つは、何か特別なことをしているわけではないんですね。
それを丁寧にディテールまで自分たちなりに突き詰めて、隅まで積み重ねていった結果、こういったものができあがった。一つ一つは凡庸なもの。ある意味どこにでもあるものなんだけれども、何かどこにもなさそうというように。


澤井:凡庸を重ねて、非凡に至る。恣意性を手放して、目の前の一つひとつに丁寧に向き合うということですね。
今日、伺ったお話は、最初から最後まで、まさにそのことの積み重ねだったように思います。
堀池さん、今日は貴重なお話を、ありがとうございました。

建築写真/楠瀬友将
写真提供/堀池瞬建築事務所
